思春期のなぜを考えてみる
2013年 11月 04日
姪が勢いよく母親に
「スマホを買って!みんな持ってる。友好関係にひびが入る!」と訴えてる」。
その様子をみて、思春期の中学生から高校生のルールに対しての考えや
携帯のことも考えていたことを書こうと思う。
携帯だけでなく、物を持てばルールがある。
携帯なら携帯のマナー。車なら車のマナー。
例えば携帯は授業中は触らないというのはマナー。
でも最近、授業中にどうしても触ってしまう子どもがいることで
世間の先生は悩んでいることもあるとか。
取り上げるのにしても高価すぎるから家から文句がでるだろう。
でも、そもそも授業中に出してはいけないもの。
ふと回想して思ったことは、昔は漫画の盗み読みがいまでは携帯になったということ?携帯なら遺憾に思うのだが、漫画なら(遺憾だけど)そうか、一度はしてしまう道だよね、と思ってしまう。
漫画と置き換えるだけでものすごく今の子たちの気持ちを理解できた。
しかし、大きく違うことがある。
漫画は自分と漫画の個の世界。
でも携帯は、個ではなく、自分じゃない誰かとつねにつながっている。
そう考えると衝動は理解できても、行動を認めるわけにはいかない。
(漫画でも認めちゃいけない 苦笑)
高校生は、有るルールにどうして?なぜ?
をぶつける期間だと思うので、社会人になる前に
ルールに屈するのではなく、おおいに悩んで葛藤してほしい。
しかし、中学生は?
それなりに中学生も考えをだすことはできるでしょう。
でも経験値も様々。
物事の善し悪しもきちんとわかっている子とわかっていてもできない子の混在は
いつでもあるもの。
例えば全員が校則を守っていないとしても、
校則をどうしてあの子は守れないのだろうと考える練習期間のようなもので、
自分で守らない勇気はなくても、
そこでなぜ、どうしてを考える時間なのではないかと思う。
その考える時間がもうけられるのも”守るべき校則”があって故の考える時間になる。
ただおばさん臭いことをいえば、
最近のその若者の葛藤も 本当に葛藤故のこうしたい!という訴えなのか、
ただ惰性で面倒くさくこうしたい!という訴えなのか
筋道がたってない子が多くなったと感じる。
いろいろな考えがあるけれど
わたしが疑問なのは、
どうして働いてもいない稼ぎのない子どもに
キッズ携帯ならいざしらず世界とつながる奥深いネットを
道理もまだわからない子どもに自由にどうぞと与える親が多いのか。
欲しいと言えば、手に入る。
DSを与える親も、多機能携帯を与える親も、子どもが欲しいというから、みんなが持ってるからで、高価なものをなぜ買い与えてしまうのか。
こう考えるわたしのほうが古くさくおかしいと思われる世の中になったか。
だとしても、わたしも夫も不便な中で成長し
自分たちであれこれ工夫して生きてきた。
中学で欲しくても我慢したものは、高校生でバイトをして手に入れてきた。
そのように育ったから、こどもたちも同じようにしたいと思う。
時代にあわないといわれてもなにを言われても
電子機器のような若者には無駄なだけのものは
持たすつもりはない。
もっとアナログで経験をいっぱいしないと
まともな思春期の反抗や訴えも出ないのではないかと心配をする。
ラインがないとつながらない友達
そんなものはいらん。と当時自分が言われたら泣くかもしれないし
心底腹もたつだろう。そりゃやるせなさにぷんぷんして
物の一個や二個を自室で投げて壊すかもしれない。
そういうしょうもないことで怒りを消化していく力はすごく必要に思う。
そうやってどうにも思い通りにならない思春期のおかげで
早く自立したと思う。
親父様に感謝だ。