絵本のある暮らしに憧れていたら、いつのまにかたくさんの書物に囲まれていました。


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カテゴリ:暮らしの綴り文( 15 )

双子の誕生日

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双子たちのお誕生日でした。
12年前、あんな出産をしたのは初めてでした。
どんな出産をしたかというと、もともとの予定で陣痛が来たら
アロマの先生にマッサージをしてもらう準備もしていました。
そのマッサージのおかげだと思うのですが科学的根拠がないので
なんとも言えませんが(笑)
1分間隔の陣痛もビリビリしてるのはわかっても、まったく痛くなかったのです。
3分間隔の頃、たった3分で夢を見ました。
亡くなった義理の父が会いに来てくれたのです。
とても安らかでいい気持ちになったことを覚えています。
その後、痛みが消えていたのです。

ジージーというかビリビリという下腹の収縮があるのはわかっても
あの脳天をかち割りそうというか、すべてが破れるんじゃないかとか
いまだったら鼻からスイカもだせそうだとか、わけがわからなくなる
あの痛みがなくて、わたしの周りはモヤがかかってました。
(ちょっと、逆にあぶない? 笑)

院長は、わたしの意思を尊重してくれて自然分娩にしてくれました。
経産婦といっても、個人医院ですし挑戦だったと思います。

無事に産まれてきたときの嬉しさ。
なのに、1人目が産まれたあとに、また陣痛があるんですね(爆)
運のいいことに約10分後に二人目が産まれました。

産まれる前に、いま高1の息子が
「おなかに、おんなのこいもうとと、おんなのこてんしちゃんがいるよ」
検診で双子だと判明する前に、息子には見えてたようです。

まさに双子はかしましい天使たちです。
いつだってわたしたちに笑いを与えてくれます。

誕生会を終えた途端にこっちゃんが「ちょっとちょっと、少し大きくなったと思わない?」
とふんぞり返った姿勢で聞いてきます。
かと思いきや、誕生日プレゼントのコードリール付きのパスケースを
シャーシャー言わせて、すごい!すごい!と引っ張っちゃしまい、引っ張っちゃしまいを
繰り返しているわっちゃん。

またいちねん、傍で大きくなるところを見せてくださいね。

産まれてきてくれて、本当にありがとう。


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by sorita-exlibris | 2016-02-04 11:07 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

講座を終えて思うこと

まず最初に、あんなに大切にしてたここのブログをほっておいてごめんなさい。
きちんと復活をします。




スーツケースふたつと書類箱ひとつを持って、昨日は講座に向かいました。
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↑こういう講座に出させていただいたのです。


伝え足りなかったところ、伝えたかったこと、まだまだが自分にはいっぱいある。
この幅を見て、わたしは『まだまだ』を『まだまだ』楽しめると思いました。

でも、大切なことは伝えることはできた。と思います。
でも、加えたいことがあるので、つぶやきます。

思春期って、自分のときのことを考えても、自分を持て余して
自分がわからなくて、誰か教えて。わかるなら教えて。教えてくれてもいいじゃない!
そんな問いを毎日していて、答えがでなくて苦しかった覚えがあります。
夜になると胸がつぶれそうでした。

でも、自分で乗り越えなきゃいけない。自分の人生だから。
誰も代わりをしてくれない。それに気づいたのはずっとずっと後だったと思います。
おバカなことも、おもしろいことも、まじめなことも、がむしゃらにやって、やって、
そして傷ついて、泣いて、嬉しさに出会い、喜んで、泣いて。
青春なんて、なにが青い春なんだ!甘酸っぱくはなくて、もう投げ出したい!
そうひとりで大泣きした日もあることを、ぼんやりしてたら思い出しました。

生きることは、たやすくない。
でも、生きていたい。わたしは、わたしの足で歩きたい!
そう気づくのに、人はどれだけ乗り越えるものがあるのでしょうか。
乗り越えている時は、もう向こう側にいけないような山の頂をみているようでした。
でも乗り越えてみると、それは丘だった。そんなこともありました。

ひとりで乗り越えたつもりでいたけれど、そうではまったくなくて、
親も一緒に乗り越えてくれてたんだと、いまなら、素直にみとめられます。
だって認めるという言葉がぴったりなのです。
知っていて、わたしは知らないふりを自分が親になるまで、親になって子どもが10代になるまで、
思い出そうともしなかったのですから。
都合よくできてるなと自分に感心してしまいます。


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子どもに手を差し伸べてあげられることが、大きくなるにつれて、どんどん少なくなって、ちょっぴり寂しく思うときがあります。

ちいさなときは、子どもが転ぶとかけよりました。かけより抱きしめ、なんど大丈夫と言葉をかけたか。

子どもが大きくなるにつれ、手を差し伸べてハグをする。
思春期を過ぎるとそれはしたくてもできません。
時々我慢できなくて、うりゃ!と抱きつくときがありますが、これは向こうからすると犯罪者の域です(笑)

それでも時々、よしよしと隙を狙って頭をなでると逃げないときがあります。
そういう時は、たまたましてほしいと、してあげたいが、ぴったりくっついた
本当に必要なときを、神様が教えてくれたのだとおもうときがあります。

思春期は心を放すなとよく言います。
ここにいる。わたしはここにいるから、大丈夫。思うように生きなさい。
間違いそうになってたら、いざというときは、ちゃんと言うから。安心して歩いていきなさい。
そう、心で発信するだけでいいのではないでしょうか。

子どもが反抗期まっさかりのまだ小学生のとき、
あまりにもいうことを聞かず、あまりにも勝手すぎて
怒り心頭で、大嫌いになりそうだわ!と叫んだことがあります。
なんてことを言ってしまったんだと後悔は、あとからあとから押し寄せてきます。

娘が中1のとき、あまりの傍若無人ぶりに
勝手がしたいなら勝手にすればいいでしょう!
ひとりで生きて行きなさい!と言ったこともあります。
お母さんにどうしてほしいの!と詰め寄ったこともあります。

娘は、わからない。わからないのとボロボロ泣きました。
このときもひどいことをしたと思いました。

自分だって、わからない日々を過ごしたくせに、すっかり忘れているんです。
自分で何を偉そうにと、それこそ夜ひとりで号泣してました。

子どもは子どもでも、わたしの所有物じゃないのですから
子どもの気持ちをすべてわかろうとするのが無理なんです。
子どもを思い通りにしようと思うのも無理なんです。
子どもが感じてることを、そのままわかることはできません。

でも、わけのわからない気持ちにあらがっているからといって
何をしても許されるわけじゃないということは、親だから伝えなくてはいけません。

だから、いまでもきちんと伝えます。
時には余裕綽々な感じで、時には、大きな声で、

お母さんは伝えたい人なんだから、そういう親を持ったのだから
そこはあきらめて、聞きなさい、と。

それでも、こうるさいわたしを救ってくれたのは、本たちでした。
すこしまっとうな親への導きをしてくれたのは児童文学の本たちです。

本のなかで、児童文学に出て来る登場人物はみな正直です。
ひどいなと思う人もでてきますが、ひどいのには理由があります。
その人の生き方ですから、その人がその生き方が、いいと思ってそうしてると思えば
納得ができます。でも共感するわけではありません。

色々な登場人物は、そのままもしかしたら、普段の生活にあてはまる人もいるかもしれません。
そのときに、そういう人を全否定するのではなく、そういう生き方をその人は、よしとしている。
そこに気づくことができれば、思春期のモヤモヤがひとつ荷をおろせます。

世界は果てなく広く、様々な人たちが生きている。
自分だけが生きているわけじゃない。そのなかのひとりなんだ。
そして人生は生きるに値する。

そこに気づくと、また新しいドアが開くのではないでしょうか。

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ありがとうございました。
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by sorita-exlibris | 2015-12-16 12:29 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

思春期のなぜを考えてみる

昨日、息子の学校の地方父母会で、預けていた実家に子どもたちを迎えにいくと
姪が勢いよく母親に
「スマホを買って!みんな持ってる。友好関係にひびが入る!」と訴えてる」。
その様子をみて、思春期の中学生から高校生のルールに対しての考えや
携帯のことも考えていたことを書こうと思う。

携帯だけでなく、物を持てばルールがある。
携帯なら携帯のマナー。車なら車のマナー。
例えば携帯は授業中は触らないというのはマナー。
でも最近、授業中にどうしても触ってしまう子どもがいることで
世間の先生は悩んでいることもあるとか。
取り上げるのにしても高価すぎるから家から文句がでるだろう。
でも、そもそも授業中に出してはいけないもの。

ふと回想して思ったことは、昔は漫画の盗み読みがいまでは携帯になったということ?携帯なら遺憾に思うのだが、漫画なら(遺憾だけど)そうか、一度はしてしまう道だよね、と思ってしまう。

漫画と置き換えるだけでものすごく今の子たちの気持ちを理解できた。
しかし、大きく違うことがある。
漫画は自分と漫画の個の世界。
でも携帯は、個ではなく、自分じゃない誰かとつねにつながっている。
そう考えると衝動は理解できても、行動を認めるわけにはいかない。
(漫画でも認めちゃいけない 苦笑)


高校生は、有るルールにどうして?なぜ?
をぶつける期間だと思うので、社会人になる前に
ルールに屈するのではなく、おおいに悩んで葛藤してほしい。

しかし、中学生は? 
それなりに中学生も考えをだすことはできるでしょう。
でも経験値も様々。
物事の善し悪しもきちんとわかっている子とわかっていてもできない子の混在は
いつでもあるもの。
例えば全員が校則を守っていないとしても、
校則をどうしてあの子は守れないのだろうと考える練習期間のようなもので、
自分で守らない勇気はなくても、
そこでなぜ、どうしてを考える時間なのではないかと思う。
その考える時間がもうけられるのも”守るべき校則”があって故の考える時間になる。

ただおばさん臭いことをいえば、
最近のその若者の葛藤も 本当に葛藤故のこうしたい!という訴えなのか、
ただ惰性で面倒くさくこうしたい!という訴えなのか
筋道がたってない子が多くなったと感じる。


いろいろな考えがあるけれど
わたしが疑問なのは、
どうして働いてもいない稼ぎのない子どもに
キッズ携帯ならいざしらず世界とつながる奥深いネットを
道理もまだわからない子どもに自由にどうぞと与える親が多いのか。
欲しいと言えば、手に入る。
DSを与える親も、多機能携帯を与える親も、子どもが欲しいというから、みんなが持ってるからで、高価なものをなぜ買い与えてしまうのか。
こう考えるわたしのほうが古くさくおかしいと思われる世の中になったか。

だとしても、わたしも夫も不便な中で成長し
自分たちであれこれ工夫して生きてきた。
中学で欲しくても我慢したものは、高校生でバイトをして手に入れてきた。
そのように育ったから、こどもたちも同じようにしたいと思う。
時代にあわないといわれてもなにを言われても
電子機器のような若者には無駄なだけのものは
持たすつもりはない。
もっとアナログで経験をいっぱいしないと
まともな思春期の反抗や訴えも出ないのではないかと心配をする。

ラインがないとつながらない友達
そんなものはいらん。と当時自分が言われたら泣くかもしれないし
心底腹もたつだろう。そりゃやるせなさにぷんぷんして
物の一個や二個を自室で投げて壊すかもしれない。
そういうしょうもないことで怒りを消化していく力はすごく必要に思う。

そうやってどうにも思い通りにならない思春期のおかげで
早く自立したと思う。
親父様に感謝だ。
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by sorita-exlibris | 2013-11-04 11:51 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

今日のイシマルさんち 10/15

今日のイシマルさんちも愉快だった。

まず、息子から電話。
「お母さん、忘れ物しちゃった。買い物したやつ。送ってくれる?
 それでね、明日は台風だから、午前中学校休みなんだぁ♩
 しかも、7時起床で、7時半朝食なんだよ♡」

って、それじゃ
「あしたは、子どもが修学旅行でいないから、寝坊できるわ♡」
とか
「あしたは、子どものお弁当をつくらなくていいのよ♩」
という主婦みたいじゃないか。

というような喜びようであった。
ちなみに、いつもの起床は5時半です。

三女のこっちゃん。

「お母さん!!!今日ね、大変なんだよ。国語のテスト!!
 すごいんだよ!こっちゃん0点だった!」

「・・・・0点なの?(吹き出す寸前)」

「そう!名前をね、書いてなかったの!だから0点。
 でもね、まるばっかなんだよ」

すかさず、わかなが小声で
「うそばっかり・・・」

「えと、バツがね、1個あったよ」

すかさず、わかなが小声で
「うそばっかり・・・」

「えとね、2、3個かな?バツ。。。」

すかさず、わかなが小声で
「うそばっかり・・・」

えぇ?! 実は何点?!と思ったら

「あぁぁぁ!!!!!!! テスト学校に忘れてきたどうしよう!!!
 復習しないといけないのに!!!」 

最後までとんちんかん。


ふみの場合

友人の子どものお下がりを大量にもらう。
そしてネルシャツを着て、セーターを着て、サイズを確認。

「あぁ・・・こりゃだめだわ」 ふみ
「なにが?」 母

「いやぁ、これはお母さん止めた方がいいわ。
こういう着こなしをするとでぶが目立つ」

殺気な母。


癒しのあお

「まま、笑うとねいいよ。たのしいことがいっぱいになるよ。
 いいことがあるよ」

「すごいじゃん、だれかにきいたの?」

「ううん、あおが自分でかんがえたの。えらいでしょう」


再びこっちゃん

今日の夕飯はさんま
大皿から自分のお皿にうつすとき

「ちがう、そうじゃない、皿を縦にしろ」
どうやら、へんな置き方をしたらしい。
そして皿に目をやると、そう言われてから直したさんまがいた。

お皿に垂直に置かれていた。

「その縦じゃない。あぁ、もう。さんまはこう置くんだ」

父はもどかしさに深いためいきをついていた。

母は、皿に縦におかれたさんまが愛しかった。


そして、横綱わっちゃん。

「おかあさん、今日のテスト」

「ふむふむ…ぷっ。孫が 糸偏に子どもになってる。
 ぷっ・・・。一枚が1枚になってる。
 ぶぶぶ。」

さて、何でわらったでしょうか。

感じのしりとりの問題です。ですが読みがあっていれば同じ感じを使う必要なし

『読者 → ● →森林』
さて、あなたは ●の中になにをいれますか?

わっちゃんは

『読者→車森→森林」となっており、先生の訂正は
車森→ 写真となっています。

あと完成 → 感成 



今日もネタをありがとう!
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by sorita-exlibris | 2013-10-15 22:32 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

シュタイナー土曜学校終業式

今日は娘たちが通うシュタイナーの土曜学校の終業式の日
通知表なるものはなく、専科授業だけなのだけれど
週に一度だけでも6年続けるとこんなにも心に体に働きかけるのかを毎回感じることができる特別な日。
とくにこの日は、どの学年も短い時間の中で、彫塑、手仕事、音楽、英語、オイリュトミー、芸術教室(フォルメンと水彩)のどれかを発表することになっている。
歌だったり、祈りの言葉だったり、その発表の中で、自分の子だけでなくよそ様の子の6年の成長も見ることができ幸せを感じる日。

なぜなら、子どもたちの過去と今と未来を見ることができるから。
親というのは(わたしだけかな?)、どうしても欲目がでるので、今よりも、もう少しとつい考えてしまうことはないだろうか。
もちろん勉強のことを言っているのではなく、生活面でのあらゆる小さなことから、大きなことまで・・・・。

こういうつどいで子どもの成長を見ると、欲張らずとも
いまのままで十分成長をしているなど少し第三者的に我が子を
みることもでき、しかもその子にとって、なにが助けになるのかを
感じ取ることもできることもある。

何よりたくさん子どもがいる中で、自分の子どもを見ることができるというのは、子育てにおいて、実はとても有益なエッセンスのような役割をする。

つまり、自分だけで、もしかして自分の子ヘンかも、と考えてたことが
たくさんの中で、あれ?うちの子だけじゃないわ、と思うこともできるからである。

さて、今日は、実はとある事情で子どもたちのつどいを見ることが叶わなかったが
代わりにたくさんの人が様子を話をしてくれた。
たくさんの目が、我が子のことも見てくれていると実感する時。
きっと、こういうたくさんの大人が見ている環境は
子どもに必要なのだと強く思う。

親でない大人にも育ててもらう。
これは最低限のルールは必ず守るという約束事はあえて語らないが
親以外の大人の役割は、反抗期や思春期に多いに力を持つ。

何より、無条件で、先入観なしに「こんにちは、元気?!」といつでも声をかけてくれる小さな頃から知っている大人がいるということ自体が子どもに力を与えることを伝えたい。

わたしはとても恵まれたなかで子育てができていることに心から感謝してやまない。

さて、これで本当の夏休みに入った。
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by sorita-exlibris | 2013-07-20 22:23 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

最近のあおちゃんやら、色々思うこと。

最近のあおは、いろいろわかるお年頃になってきたようで
以前より、より豊かな発言や行動をする。

わけわからず兄がいつもいない生活から
兄は中学で東京に行ったのだとようやくわかり
最近兄が帰宅し上京する度に泣き
先日は突然兄を思い出したらしく突然泣いた。
仕方ない、と電話をしてやると
初恋の相手と話してるようにもじもじくんともじもじちゃん。

ま、まだ13歳。ちったー気のきいたことを言えんのか。
と思いましたが、無理でしょう。
末娘5歳にして初恋は兄、でしょうか。(笑)

さて、娘は東京へはいかず傍にいるのだが
結局、本人の意思で自由に高校を選ぶという道にした。
先日家庭訪問があり県外受験の場合は準備はご両親でお願いします。
そして、3年の1学期、4月または1学期中に担任に教えてください、
という情報もくださった。
(娘の担任は、すごくこういう所の気配りや気づきがよくて尊敬します)

ということは、自由に高校を選びます、という選択を
中学2年生までには決めないといけないということで・・・
受験をするということは、それだけ一生懸命、偏差値のためにも
頑張って行くということで・・・。

はたして自分はそこまで懸命に高校選びをしたのだろうか。
うーん。田舎でよかったと思ったり(笑)

わたしの従兄弟で立派なのがいる。
勉強もできたが、なにより人間が立派なんだ。
先日Z会を溜めている娘に兄が「おまえお金もったいないだろう」と窘めた。
(さすがに学校で経済を学ぶだけある)
その話をしたら、Dちゃんは、「ま、溜めたとしても自分の勉強だし
結局は、いまわかることが重要なんじゃなくて、3年後の受験の時に
自分がどこまでできているか、だよ。」

偏差値とるだけのためのいまの勉強じゃなくて、
3年後の受験をする時に、どこまで自分がもっていけるかだよということ。
さすが、センターを受けてただけあるね。
でも、それが現実。
兄は一貫校で受験はない。でもあなたは受験があるんだ。

今回のテスト期間中、まぁお気楽なこと、お気楽なこと。
その結果次第で彼女も気づきがあれば正すでしょう。
自分で選んだ道、がんばっておくんなせー。


さ、問題は双子だ。
4年生。
きぃきぃと勉強などをどの子もさせたことはないが
この二人はちょっと気合をいれさせてもらおうか
あまりにも愉快すぎる(笑)
といいつつ、いろいろ考える毎日。

とにかく散らかさない家作りを目指そうではないか。
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by sorita-exlibris | 2013-05-20 00:54 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

子どもたちの優しさ

うちの双子のこっちゃんは、とても優しい子ども。
つい5年前まで末っ子だったこともあり、
ちょびっとずるい所もあるけれど、それはそれで正しい成長の範囲内。

うちは子どもが5人もいて、わたしには仕事と家の家事があり
どうにかならないものかと考えてた時に
「自分のところには、小さいけどおててがたくさんあるじゃない」
という友人の言葉を聞いてから、お手伝いは惜しみなく
はりきってもらっている。
わたしが楽したいのではなく(本当はある 笑)
できるようになった方が大人になった時に本人が困らないために
どんどんさせて行きたいと考えている。

そんなこんなでお兄ちゃんは東京になってから3人でお手伝いが
ぐるぐるまわっていたけれど、習い事やなんやかやで
もめごとの原因になるから、曜日でお手伝い担当を決めた。

月 わっちゃん
火 こっちゃん
水 ふみ
木 ふみ
金 こっちゃん
土 わっちゃん

日曜はわたしも含め全員ががんばる日。

今日はこっちゃんの日。
ご飯を食べたくても、なかなか来ない。
なんでだろうと思ってると末娘が
「ママ、お風呂はいるときびっくるするよ?!」と言う。

どうやら時間をかけていたのはおふろをピカピカにしていたよう。

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おふろをいただきにいくと、こんな張り紙が・・・。
反対側には籠の上に 「こちらには着替えのパジャマをおいれください」とある。

夫はお返しに「きれいなおふろをありがとう!」と
書いて机の上に置いていた。


脱衣所にある小さな物干には、娘が手洗いした靴下が干してある。

息子はGWはおもいきり遊びに帰ってきた!という感じで
ほとんど何もしなかったけど、みんなが「大目に見ましょう」と考えている。
でも、息子が東京で頑張っているというのはいろんな形で
いもうとたちに伝わっている。

末娘のあおは、年長さんになり念願の洗い物やお皿拭きが園で
させてもらえるので嬉しくて仕方ない。
今日は家でも洗い物をしてくれた。
ちょっと前までわんわん疲れて泣いていた人が・・・。

そんな娘にせがまれて文庫終了後に本を読んであげた。

1冊目
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ぼくはあるいたまっすぐまっすぐ
マーガレット・ワイズ・ブラウン
坪井 郁美/文
林明子/絵
ペンギン社

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うんち したのは だれよ!
ヴェルナー ホルツヴァルト ぶん
ヴォルフ エールブルッフ 絵
関口 裕昭 訳
偕成社

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ようちえんのいちにち
おかしゅうぞう 作
ふじたひおこ 絵
佼成出版社


わっちゃんは、今日はなにもない日なので一輪車をさらにマスターしていた。
ふみは・・・・なんか気が抜けたサイダーのような感じで最近過ごしている。
自覚のない疲れが満喫してるかも。
GWでリフレッシュというよりも、拍車がかかったか?!

どちらにしても、母は金曜の昼間には出てしまう。
うーむ、新幹線をずらそうかな。打ち合わせも月曜にうつったしね。
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by sorita-exlibris | 2013-05-07 23:02 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

新しい生活

娘が中学に上がり、新天地を迎えた生活。
毎朝お弁当作りから始まるのが日課。

とりあえずまだ2週間ちょっと撮影も記録も続いている。

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菜の花チャーハン 干しえび入り
ベジミートオムレツ
人参の塩きんぴら
ミートボール
おかひじきのごま和え
干し杏の塩煮
ぶどう豆




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青菜ご飯
味噌漬け卵
ウインナー
酢牛蒡
ほうれん草のおかか和え
肉なし肉じゃが(仙台麩)
たけのこのごま和え
プルーンのワイン煮
トマト砂糖漬け

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青菜ごはん
野菜炒めごま風味
おからクリームコロッケ
ひじき入り卵焼き
セロリのしょうゆ漬け
きゅうりの甘酢和え
ぶとう豆
ミニトマト



一部紹介。


娘は悩みつつも運動部ではなく美術部に入った。
毎日、楽しくて仕方がないと部活へ通う。


小学生チームの双子も部活がスタート。
わっちゃんはバスケ。こっちゃんは化学部に入るか、入らず帰ってくるらしい。

残すは年長組のあお。
あおは、年少さんのお世話で忙しく、つい先週までは
車に乗るなり我が儘をいい、泣いて怒っていた。
4月はそういう月なのだ。
年少さんであれ、年中さんであれ、年長さんであれ
ざわざわするのは普通なのである。
よく怒っているお母さんを見かけるのだが
「いや、仕方ないんだよ」と伝えたい。
ちっさいながら新しい環境に慣れようと必死なのだから。
姉たちもあおの暴君ぶりにぷりぷりするのだが
いや、ちょっと待てと、あんたたちも同じだった。
4月になると特に年長さんはお世話で疲れて、家族におもいきり甘えたくなるのが普通。
ましてやうちは姉ちゃんが4人もいるではないか?!
多めに見て、優しくしてやってくれ、でもひどい我が儘はたしなめていいから。
と伝えると、長女なんかは、「わたしはもっとおとなしかったし」などと言う。

いやいや、あなたは凄かった。ほんとうに凄かった。という話をしたら
「ふん、覚えてないし」
そうそう、ここにもいた。
新天地で室長にも立候補しやる気満々で疲れている娘が・・・・・。
それもこれも、先日のGW第一陣の頃からすっきりし始めた。

さてすっきりしないのが兄ちゃんだけど、もうすぐ初めての高速バスで帰ってくる。
さぁ、どこからどう攻めようか。(苦笑)

作戦を練りつつ、お弁当のメニューを練りつつ
わたしはいま『クラバート』を読んでいる。
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クラバート
プロイスラー作
中村浩三訳
偕成社


わたしのあまりの熱中ぶりに、忙しいわたしをよそ目に
悔しいことに長女は2日で読破した。
しかし、早く読み終えて娘と語りたい。

さて、作戦相手の息子は、珍しく本を読んでいないようだ。
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by sorita-exlibris | 2013-05-01 01:28 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

おふろでの読書

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おぱらばん
堀江敏幸著

新潮文庫




おぱらばんを語れるほど、まだ読み込んでいない。
ただこの文庫は、もう長いこと私の長風呂専用と決められ
カバーも外してしまった。

わたしはおふろに本を持ち込むのが好きだ。
持ち込んではずっと読んでいる。
でも、それは滅多にはなく、夜中にひとりで入る時に限る。
夫にいつも不思議がられる。

特に堀江さんの本は格別で
行間というか、ぽろぽろと繋がる言葉が
見事に奏ではじめるというか
静かに歩いているような、なんともいえない彼岸と此岸の間にいるような
不思議な心地よさに揺られる。

ハンモックに揺られると、目眩が起こるような情けない年になったので
揺られたことはないが、きっとそれにも似ている。
落ち葉がパラパラとつまれた小径や
春の花が少し蕾みをつけ始めたような野原とか
ただ何もない、あるのは桜の木とベンチのみ
そして遠くには残雪を残す山々というような場所に
踏み入れ、ただ揺られているような気分になる。

先日、初めて本を読んでいるところを娘に見られた。
その日は、みんなが早々にはいってくれたので
夜の8時でわたしが悠々と一人で浸かれたのだった。
「いいな、わたしも本を持ち込みたい!」と言うので
普通の本の持込みは困る。ちゃんと風呂専用の本を作らないと
大きさも手頃なのは、文庫だと思う。
と伝えると、しばし考え、
「じゃ、お母さんの本を読んでもいい?」と言う。
どうやらおぱらばんを読もうと思ったみたいだ。
わからない事もおおいかもしれないけれど、なかなか博識の堀江さんの作品だもの
きっと、色々な物と出会うので、実際に会いたくなるだろうに。

パリがどうとか、もっとわかるといいのに、と思う。
わからないけれど、楽しい。
それに思考の道筋がたまらない。
堀江さんの文章を読むたびに、まだまだ読書が足りないと痛感する。

さて、そのそばにもう一冊文庫が置いてある。
みると、それはわたしが置いたのではない。
(実はもうひとつあるのだけど、それはわたしが置いた
 澁澤龍彦さんの『世界悪女物語』)

よく見ると、藤沢周平さんの「又蔵の火」
これがまたいい本なんだ。
でもわかるのかな、いや、12歳なりにわかるのかもしれない。
わたしも12歳の時に父の松本清張をちら読みした。
でもあまり記憶がないということは、その時は「ふーん」だったのだろう。

それにしても、おふろという文化がある国に生まれて嬉しい。
独身の頃、日中に何度もおふろに入った。
入るというか、浸かっていた。
子どもを産んで走り回るようになると、当然それらの至福はなくなり
夜遅くに本を読むことになる。
なんの本だったか、江國さんの主人公が何度もおふろに入る人で親近感を覚えた。


あなたはおふろで読書するひと?そうでないひと?
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by sorita-exlibris | 2013-03-07 04:29 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

新年言詞

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。


今日は友の会の新年例会でした。
なぜか白羽の矢があたり、なんと例会で話すという大役が・・・。
200人近い人の前で話すのですが、とにかく緊張でした。
テーマは「婦人之友と私」婦人之友の雑誌についての感想。

気付けばはじまりはそこなんだと思える。1冊の雑誌から生まれたドラマでしたよ。
我ながら・・・。



さて、それよりもよかったのは、今日の読書
羽仁もと子著作集二十巻 自由・協力・愛から
「大いなる隘路と大いなる希望と」ーこの頃の朝礼に於いて子どもと語るー

書かれたのは終戦の一年前昭和19年8月。
大戦の国運とそして隘路。
隘路とは、物事をすすめるにおいての邪魔となる条件などのことをさすのですが、
何事も良いことをしようとする時に隘路というものはあるものです。
その隘路について、どのように思い、どのように考えるか
大戦のまっただ中にミセス羽仁は、子どもたち(学園の生徒たち)と
熱く語りあっています。この自分を考え、生徒たちにどう思うか?と問いかける様子はまるで想像するに「ハーバードの白熱授業」マイケル・サンデル教授のよう。

もし、機会があれば図書館やどこかで手にとって読んでみてください。
最後の文
「真実はどんな幼心にも通じます。通ずるばかりでなく、不思議な力で大人を励ましてくれます。子どもも決して手足まといではありません。
呑気な顔で闇買いをしたり不足ばかりいっているような同胞も、どうか目を覚ましてと祈らずにはおられません」


この文など、今回の選挙や原発問題、TPP問題、あらゆることにあてはまります。
潔い決心と有猛進も必要とも書かれています。

誰かまかせではなく、まず大きな場所に委ねるだけでなく
まず家庭から、何がいいのか、どうしていきたいのかをしっかり考えていくと
選挙のたびにぶれることも踊らされることもないでしょう。


「生活を愛する気持ちとよい家庭がよい社会を作る。」その通りだと思います。
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丁度おなじ頃、息子も学校で新年言詞を発表していたことでしょう。
わたしは新年言詞の発表ではありませんでしたが
色々と見えてくるものがありました。

今年は、整理の年のようです。そして昨年末に気付いたメッセージ
「時を待つ」。

焦らずとも道は開ける。

焦らずにじっくり答えを出して歩こうと思います。

そして、最大のテーマ。
所有しない美しさ。 
こちらもたくさん考えて行く一年でしょう。
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by sorita-exlibris | 2013-01-10 14:23 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)