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8月6日に考える

7月の読書会


 先日、定期的に開催される読書会がありました。課題図書は、オランダが舞台となっているコチラ





 原題は『THE LEVEL LAND 』『RETURN TOLEVEL LAND』
主人公たちのオルト一家の住む屋敷の呼称がタイトルになっています。
 ナチス・ドイツに占領される間近のオランダから占領されるまでと、続編は6年経った終戦後まで。
 お医者さんのお父さん、お母さん、5人の子どもたちのオルト一家を通して、オランダに住む人たちや、ドイツから迫害を受けてきたユダヤの子どもがどうこの時期を過ごしていたかもわかります。
 戦争というものが、いつか始まるかもしれないという緊迫感はありながらも、都会と片田舎ではその受け止め方の温度差もあること、「はい、はじめます」ということももちろんなく、ある日突然爆撃という音と共に市民は非日常に押し込められ、生きることを脅かされることも‥‥。
 
 勉強会の中で先生が「これは戦争のお話というよりも、オルト一家の子どもたちの成長物語」と話された時、まさにそうだと思いました。
 このお話の中では戦争の時代とはいえ、あからさまにそればかりが書かれていません。子どものやりそうなことが多く描かれ、ハラハラさせられたり、ほほえましく思ったり、楽しくさせてくれます。逆にこういったことで大人が読んで痛感するのは、どの時代も子どもは子どもだということです。大人の勝手で、子ども時代を子どもとして過ごすことができないのです。ですが、”戦争”で全てを片付けてはいけない。子どもたちのやることなすことを戦争のせいにせず、自分たちの行動は自分たちで責任を取ることが大切とお母さんが一蹴するシーンは親として学びになるし、子どもたちは読むと励まされるのではないでしょうか。
 いつだって、子どもたちが前を向いて歩けるのは自分たちをちゃんと見てくれる大人の存在。児童文学はその在り方を大人には教え、子どもたちには支えになると信じています。
 本書は登場人物の一人ひとりが、本当に実在したかのように生き生きと存在している、これが読者を魅了させる大きな理由でしょう。なぜなら、あまりにも存在が大きくなったオルト一家の安否を気遣い、作者のところには”その後”を気にするお手紙が多く届いたことで、私たちも、6年後のオルト一家に出会うことができたのですから。フィクションとは思えない筆致を見る限り、きっと作者の意図を超えたところで、オルト一家が動き出していたに違いありません。
 オランダが占領された1940年5月10日から始まったロッテルダム襲撃は僅か4日間で降伏状態にしたにも関わらず、17日まで空爆を止めませんでした。このシーンでは、預かっているユダヤ系ドイツ人のヴェルナーを国外へ逃がす手配をするミープ(5人姉弟の長女)の脱出劇は手に汗握る場面でした。
 心に残るのはお母さんの言葉です。
とうとう恐れていたことが現実になり、ドイツ人に負けた、けれどわたしたちの方が強いと話します。

あたしたちは、悪にさからって自分たちを守るために、じぶんが戦ったのだということを、知っているからです。そして、あたしたちは、まだこれからも、自分を守っていきましょうね、武器を使ってではなく、正しいことを信じる、あたしたちの信念の力で―――

『あらしの前』p267~268

 悪いやつが必ず罰せられるとは限らないと息子に言われますが、お母さんは、自分たちが疑っていたらなにもできないこと、信仰をもとうと言います。『人類と正義とに対する信仰を!』と。

 作者はこの本を1943年に発行しています。作者のまえがきは必読です。

世界は一つの大きな家族です。ただ、その家族の中の人たちが、おたがいに平和にやっていくのに、すこし面倒なことがあるんですね。もしもわたしたちが、他人に対する親切な心というものが家庭に始まるということを悟ったら、何百万という幸福な家族ができるでしょう。そして、そういう家族が、しまいには、いっしょになって幸福な世界をつくるでしょう。

『あらしの前』作者のまえがき

 傷ましい現実がニュースで流れてきます。遠い国で、わたしたちは何もできることはありません。でも、そうでしょうか?一人ひとりが我が事と考え、どういう世の中にしたいか、世の中が多きれば、どういう家族にしたいかを真剣に向き合ってはどうでしょうか。
 最近どこでも話しています。自分の半径1mから幸せに。家族だけじゃない、隣り合う人をいつも幸せにと願う心を持てば、その願いは伝染し、争いを考える人が減るでしょう。

 最近、わたしがしたんじゃない、ぼくは関係ない、そんな言い訳を口にする子どもを見ると悲しくなります。
自分が落としたおもちゃじゃなくても、気づいたら拾う、その小さな気持ちがいづれ大きな世界平和に繋がるとも思う今日この頃です。

79年前のヒロシマを偲んで
合掌

追記

1500文字まで決めていますが、今日は2000文字。
お許しを。


# by sorita-exlibris | 2024-08-06 20:26 | 戦争や平和、人権の本 | Trackback | Comments(0)

関心領域を観て

 

関心領域
ジョナサン・グレイザー監督
マーティン・エイミス原作
105分
イギリス/ポーランド/アメリカ/

 ホロコースト続きです。
もうずっと、なぜこんなことが起きたのか、どうしてこんなことができたのか。理解が全くできなくて、書物や映画をたくさん読んできました。
この映画も知ってからすぐに見に行こうと決めていました。
まだ公開中なのでネタバレはしませんが、とにかく見終わった後しばらく映画館から離れられず、そのあとは気づいたら90分近く、あてもなく歩いていて、それほど落ち着かなくなる映画でした。それも、エンドロールが終わり、時間が経てばたつほど、なんともいえないゆさぶりがじわじわと生まれてくるのです。

 舞台はアウシュヴィッツの壁を境に住む、アウシュヴィッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスの自宅。ヘスとその妻ヘドウィグとその子どもたちと訪れる友人たちの、華やかで優雅に暮らす日常。
そこだけ切り取ったら、それは素晴らしい屋敷と庭と生活です。

でも、隣で行われていることは?
ユダヤ人に対する「最終的解決」の話合いの場面など、人間に対する処遇ではなく、なにか”モノ”に対する会議なのか?と思うほど軽々しく貧血を起こしそうになりました。ホロコーストの場面などなにも出さずにこの後味とは…。

本当にまいりました。まいったけど、観てよかった。

 人は自分の関心領域を守るためなら無関心でいられるのか?
ヘドウィグは自分の家庭というより、贅沢を手に入れた環境を守るため、
ヘスは、ナチスに入党し、トップの座を守る、その環境のみが関心領域なのか? 属するところで決定した命令は命令ではなく、自分の意思に関係ない、ある意味、自分の関心領域外なのか?
また、ある種族は存在する意義などないと教え込まれたら、そこを徹底的に排除することが関心領域なのだろうか・・・・。

観るか観ないか、と言えば観るべき映画。ぜひ観てほしい。
特に若い人たちに。これからを生きていく若い人たちにぜひ。

映画の内容等は公開が終わったら改めて書こうと思います。

ひとのなみだ
内田麟太郎 文
nakaban 絵
童心社

 内田麟太郎氏の新刊は、非戦と平和を願って描いたとあるけれど、絞り出したような思いだった。ドキっとさせられ、わたしには関係ないとは言えなかった。そうはなりたくない、そうはなるかもしれない自分がいるような…

 いま反戦と言ってても、もし日本が戦争になったら、召集と決まったら、
命をかけて否定できるだろうか?
もし目の前で銃口をつきつけられたら、黙って死ぬことができるのだろうか?もし、自分の子どもに銃口が向けられたら、子どもを殺されてもなお、
人を助けたり、子どもや自分の命と引き換えに人を助けられるだろうか。

 戦争の小説を読むたびに、映画を観るたびに、自分だったらどうなるだろう。自分は同じことができるだろうか。
したいと思っても、子どもを盾に取られたら?仲間たちと天秤にかけられたら?

 大きなうねりに巻き込まれる前に、自分がどう考え、どう行動し、どう生きるのかが肝心なのだと思う。

 以前受けたシュタイナーの勉強会で、講師の先生はこう話された。
自分の意思を育てること、自分を確立していくには、一つずつどんな小さなことでもいいから、一つずつ自分で決めていくこと。


朝がきたら窓をあける。カーテンをあける。空を見る。
日常の一つずつの小さな決め事が自分を作り変えていく。

 なにかを書いても上滑りになってしまう気がして、なかなか書けずにいました。観てからもう一カ月以上経つのに。
でも、この『ひとのなみだ』を読んで、書かないと、と思ったのです。

 心から願います。平和な世の中になりますように。
皆が幸せに暮らせますように。この瞬間も爆撃や銃口に恐れず
子どもたちも大人も老人たちも健やかに眠れますように。


# by sorita-exlibris | 2024-07-03 22:39 | 戦争や平和、人権の本 | Trackback | Comments(2)

フランスで行われたホロコースト



フランスで行われたホロコースト_d0220685_20500986.jpg
ホワイトバード

R・Jパラシオ
エリカ・S・パール
訳中井はるの
ほるぷ出版
2023.11.21
小学校高学年から





ホワイトバード

 主人公はアメリカに住むジュリアン。自分のしたことで傷ついた子がいた、その理由で学校を転校したばかり。
 転校先の学校の課題、作文の宿題で”家族か知り合いについて書く”を
ジュリアンはパリに住むおばあちゃんの子どもの頃に体験した戦争のこと
を書きたいとおばあちゃんに頼むところから物語は始まる。
 ジュリアンとおばあちゃんの電話での会話の中に、「時間を戻せないかなって思うんだ。やりなおせたらなって……」そのあとジュリアンにこう伝えるのだ。「人はまちがいによって、どういう人間か決まるのではなく、そこから学んでなにをするかによって決まるんだよ。わかったかい?」

 そのあと、ジュリアンに話を聞かせ始める。
1930年代 フランス、おばあちゃんは小学生のサラに戻って…。



 ノンフィクションではないけれど、作者が巻末の用語解説で書いている通り、本書を読み終えた若い読者は、ホロコーストのことをもう学びたくないと思うかもしれない、と。 
 でも、その時なぜそのようなことが起こったのかを紐解くには、一方的ではない、事実を即した”記録がその判断、または考察としての材料となります。 日本学術会議の任命拒否の時、加藤陽子氏はずっと記録をつけてきたと話されていました。
 一方で、部外者である自分たちに今更どうしようというんだという発言も
でてくるのも事実です、が、歴史記録というのはなにがどうして今になっているかの事実を知るために必要です。政治的な当事者は責任を取り、俯瞰してだだけの自分たちにも、どう行動をしたらいいかを考え直す機会をくれます。その”どう行動”というのは、事態後ではなく、進行形でどう行動していくと良かったのか?を考えることではないでしょうか。

 作者の言葉通り、実際にそう思う(ホロコーストをもう学びたくない)若い世代もいることをわたしは映画で知りました。またヒトラーを賞賛する声もまだあることも…。
百聞は一見に如かず。下記の映画をよかったら見てください。
映画『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言』↓



フランスで行われたホロコースト

 恥ずかしながら、フランスでもホロコーストが行われていた、ということをきちんと知ったのは大人になってからでした。
 知ればしるほど、まさか、なんでこんなことが平気で行われるの?ナチス・ドイツがした残虐さに言葉を失いました。
 ほるぷ出版から昨年発売された「ホワイトバード」は、ホロコーストを逃れた女の子と匿ったその一家や周りの人たちのことを描いています。
少しライトな部分もありますが、ある意味、入口としては良いと思いました。巻末の資料としても揃っています。

 本書のはじめにでてくるフランスで行われたユダヤ人の一斉検挙事件。

ヴェル・ディヴ事件(ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件)

 1942年7月16日~17日
 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下にあったフランスで、大量のユダヤ人の検挙が行われました。

 大人向けですがクレストブックスで、現代と当時を結びつつ、何が行われたかを知ることができる一冊。



映画化されたものがコチラ



 近々、最近見た「関心領域」の映画についても書きたいと思います。


# by sorita-exlibris | 2024-06-26 20:54 | 戦争や平和、人権の本 | Trackback | Comments(0)

こうもりの絵本

こうもり

こうもり
アヤ井アキコ 作
福井 大 監修
偕成社
2022.7
4歳~

 我が家の近くの川の堤防でよく見かけるこうもり。
 この絵本も暮れたあとの川沿いがよく描かれ、こうもりの大きさや体重、
つばさの仕組みやどうエサを取るかなど、生態がポイントを押さえて、小さな人でもわかりやすく書かれています。
 こうもりのだす超音波の説明では、人が聞こえる音の域とそうでない域のが絵でわかりやすく描かれ、哺乳類で1匹から生まれる子どもの数、エサ、どこでどんなふうに生息しているかも知ることができます。
 ここで描かれているこうもりは、函館より南の市街地で生息する”アブラ
コウモリ(イエコウモリ)” 名前の通り、人間が作った建物ばかりをねぐらにしていると本書にあります。
 川沿いの夕暮れ時の様子の描かれ方も、こうもりが生活に身近にある子どもには記憶になじみがあり、文庫でもよく借りていってくれます。

もう少し詳しく描いてある絵本が次の絵本です。

コウモリの本

コウモリの本
シャーロット・ミルナー 作・絵
三重県総合博物館 主査
コウモリの会 副会長
佐野 明 監修
松浦 直美 訳
合同出版
2021.3.20
小学中学年~

 先に紹介したのが小さな子でもわかるこうもりの絵本だとしたら、
こちらは、もう少し大きな小学生中学年ぐらいの子たちからの
”知りたい”に応えてくれる内容となっています。
 コウモリの生態を知った子が、もう少し踏み込んで、コウモリの種
類、生態、また意外に思う、環境への良い影響を与える面を知ること
ができ、驚きの連続です。

 コウモリと聞くと、ついよくないイメージを思ってしまってましたが、
怖さや不気味さなどの印象が強かったのですが払拭されました!

 実は本書を読んで、コウモリは唯一空を飛べる哺乳類だと知ったり(恥ずかしながら、知ったのです)、コウモリ受粉に大いに役立ち、種を運んでいる存在だということ、熱帯雨林でも砂漠でもサバンナなどの生態系をコウモリがどう守っているのか描かれており、もう「へぇ!へぇ!へぇ!」の連続でした。発見が多く、読んでてとても楽しかったです。

 また”バオバブ”は動物たちにとっても、人間にとっても、たくさんの役割を持っていることも知りました。大人になっても、”知る”ことがあるって嬉しいですね^^
 そんな生態系においても必要なコウモリが今絶滅のおそれがでてき
てる!ことも知って驚いています。

 コウモリが食べることで増えていく草花たち
ルリジシャ・ヤグルマギク・ニオイアラセイトウ・ヨルザキアラセイトウ
メマツヨイグサ・フサコジウツギ・ジャスミン・タバコ・スイカズラ 
 近所のこうもりがいる堤防にも、マツヨイグサがたくさん咲いてます。
コウモリのためにも、自然のためにもシードボールを作って撒こう!という話もあり、この絵本で知った”シードボール”作ってみようかな。

 敬遠していたコウモリも以前より優しく見ることができるようになったのは絵本で知ることができたから。
みなさんもよかったら、夕暮れのコウモリに愛を感じるこの絵本でコウモリを知ってみませんか?


# by sorita-exlibris | 2024-06-19 10:41 | 子どもと楽しむ絵本 | Trackback | Comments(0)

食べることのたのしみ

人生において、食べることは大変楽しみのひとつ。

無機質に毎日、そう、例えば缶詰で出されたら、うんざりしちゃう。
生きる希望がなくなってしまう。

ごはんとお味噌汁だけでもいいから、あったかいのを食べてもらいたい。
被災地の人たちへ心からそう願います。

先週の荻上チキさんのラジオで、トラックが入れるように道がなんとか
修復されたと知り、少しホッとしました。
現地でボランティアをする、これまた現地の子の話では
道が補修された途端、地元民なのか、そうでないのかわからない車両が増えて
困りはじめたと、つい先週の土曜に聞いたばかりです。

焦る気持ちはわかるけれども、少し待ってあげてほしいと心から願います。


さて、食べ物にまつわるエッセイを紹介します。

昨年も話題でした
食べることのたのしみ_d0220685_21565740.jpg
桃を煮るひと
くどうれいん
三島社

くどうさんの5年ぶりの食エッセイ集
日経新聞の夕刊にて連載されてたものに書きおろしを加えたものです。

梅雨の頃に出たので、紹介までずいぶん経ってしまいましたが、
何度読んでもじわじわきます。

例えば「あのファミチキ」
うちの娘さんにも、しょっちゅうではないですが、ファミチキに
ある種の焦がれる思いをお持ちの人がいます。
もしかしたら、それは今の環境が成せることであって、
くどうさんのように、環境が変われば、手にとらないのかもしれません。

食いしん坊のわたしとしては、「ここが八分目」は苦笑しながらも
とても楽しく読みました。
八分目って難しいんですよ。よく食べるものにとっては(笑)
気付いたら、はち切れんばかりの満腹なので…

友人を思いだすのは「桃を煮る人」
彼女が住む彼の地はフルーツ大国で(大人になってから岡山がフルーツ大国と知る)
桃が、あの高級桃が安く、やすーく手に入ることが少なくないそうで、
あまりにあるから煮て冷凍庫へいれてあるそう。
息子が青春18きっぷで泊りに行ったときも、帰りのお土産で
煮た桃をジップロックにいれて持たせてくれた。
桃だけに限らず、なにか甘いたぐいのものを煮ていると
「煮てる」と声をかけられる。
フルーツの煮てるあの甘酸っぱい匂いほど、幸せなものはない。

祖母を思い出すのは「たくあんじゃんけん」
北海道の旭川よりも、まだ北へいく祖母や母の育った土地では
必ず保存のための地下がある。
冷房なんて入ってないのに、夏でも寒い。
冬なんて、完全なお仕置き部屋どころか、凍え死んでしまうだろう。
台所に地下へ降りるドアがあり、ドアを開けると突如と
現れる階段を見るたびに、落ちたら死にそうだな、と
いつもその前を通る時は逃げるように足早になっていた。

そこには祖母がつけた漬物がたくさん保存されていた。
4人の子どもたちへ送るためだ。
祖母の作る夏のきゅうり漬けと、冬に美味しくなる粕漬はごちそうだった。

10年ぐらいになるのだろうか。もっとだろうか。
ある日から、わたしの母が漬物を漬けだした。
最初は、甘すぎるだの、漬かってないだのとぶぅぶぅ生意気なことを
わたしや父や、周りに言われていたのだけれど、
いつの日か、祖母とおなじ味を出すようになっていた。

いつの日か、わたしも母のように、漬物をつけるのだろう。
夏のきゅうり漬けはマスターした。
それは簡単だから。
でも、粕漬はハードル高いな… でも漬けるようになるのだろう。

わたしには、祖母から母へ受け継がれたものでマスターしたいものが
まだまだたくさんある。

まだまだたくさんあるから嬉しいと言っていられるうちが花なのだ。







# by sorita-exlibris | 2024-01-09 22:14 | おいしいそうな本 | Trackback | Comments(0)

絵本のある暮らしに憧れていたら、いつのまにかたくさんの書物に囲まれていました。htttp://www.kodomiru.com 絵本と子育てがいっぱい書いている初期ののブログはコチラ http://soritant.exblog.jp/


by sorita