反抗期のシュタイナー教育―自立へと向かう遙かな旅

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反抗期のシュタイナー教育―自立へと向かう遙かな旅
ヘルマン ケプケ 著
合原 弘子 訳
学陽書房


わたしは14才のときのことを鮮明に覚えている。
誰に何を言われたのか、なにをされたのか
また自分がどう考えて生きていたか。

わたしは自分が14才の時、
毎日が戦いだった。その戦いは13才から始まっていた。
その出口が見えない(ように思えた)戦いは、
いま思うと高校まで続き、卒業してからもつきまとい、
でも段々とゆるくなり、21才で一段落した覚えがある。
ちゃんと7年サイクルで。中学生は、先生さえも信じていなかった。
信じろというのなら、見せてみろ。そう思っていた。

本当に先生というものが大嫌いだった。

高校になって、ずいぶんとそれらは、明朗な教師たちにより
または、無骨に見えるだけで親切だった教師により
ずいぶんと緩和されたけれど、わたしは常に反発し
間違っていることには、たとえ先生でも間違っていると
声をあげていた。
あの引き下がらない根性は、同級生も辟易としていただろうし
(だって、面倒なことは嫌でしょう。臭いものはふたをすればいいのだと
そういうことも思春期はわかっていたし・・・。)
先生の一部でもお手上げだったろう。

といってもヤンキーとは違う部類ですが(笑)


中学は、賢さもまだ未熟で経験もない青臭いがきんちょでしたから
よけいにややこしかったでしょうね。

親も先生も嫌だったけど、学校には通い、部活も(ソフトボール)し、そこそこに勉強もした。
ずるさも、知恵がいることもこのときに学んだかな。
馬鹿正直はアホを見るということも。
上下関係の厳しさも。

小さいながらも中学生14さいころになると子どもは一人で立ちたちくなる。
立っていると思いたいのだ。

もしかしたら、こんなに鮮明に覚えているということは
わたしのなかでの14才は消化しきれてないのかもしれない。
もしくは、あの時の経験がいまのわたしのように強くしてくれた生きた証のひとつだから
抱きしめていたいのかもしれない。

もっと、思い出そうよ。
自分がどうしたかったのか。
そう思いながら、この本を再読する。

中2ともなると、俺は、わたしは 一人の人間なんだ!!!
と吠えていると思う。
いつまでも幼稚園児のように、怪我をされた、嫌なことを言われた、された。
そんなことで、親につきまとわれるのは、うんざりしてる。
ほうっておいてくれ、と叫んでいるのが思春期だと思う。
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by sorita-exlibris | 2013-07-07 11:46 | 暮らしに役立つ本

絵本のある暮らしに憧れていたら、いつのまにかたくさんの書物に囲まれていました。htttp://www.kodomiru.com


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