シュタイナー土曜学校終業式
2013年 07月 20日
今日は娘たちが通うシュタイナーの土曜学校の終業式の日
通知表なるものはなく、専科授業だけなのだけれど
週に一度だけでも6年続けるとこんなにも心に体に働きかけるのかを毎回感じることができる特別な日。
とくにこの日は、どの学年も短い時間の中で、彫塑、手仕事、音楽、英語、オイリュトミー、芸術教室(フォルメンと水彩)のどれかを発表することになっている。
歌だったり、祈りの言葉だったり、その発表の中で、自分の子だけでなくよそ様の子の6年の成長も見ることができ幸せを感じる日。
なぜなら、子どもたちの過去と今と未来を見ることができるから。
親というのは(わたしだけかな?)、どうしても欲目がでるので、今よりも、もう少しとつい考えてしまうことはないだろうか。
もちろん勉強のことを言っているのではなく、生活面でのあらゆる小さなことから、大きなことまで・・・・。
こういうつどいで子どもの成長を見ると、欲張らずとも
いまのままで十分成長をしているなど少し第三者的に我が子を
みることもでき、しかもその子にとって、なにが助けになるのかを
感じ取ることもできることもある。
何よりたくさん子どもがいる中で、自分の子どもを見ることができるというのは、子育てにおいて、実はとても有益なエッセンスのような役割をする。
つまり、自分だけで、もしかして自分の子ヘンかも、と考えてたことが
たくさんの中で、あれ?うちの子だけじゃないわ、と思うこともできるからである。
さて、今日は、実はとある事情で子どもたちのつどいを見ることが叶わなかったが
代わりにたくさんの人が様子を話をしてくれた。
たくさんの目が、我が子のことも見てくれていると実感する時。
きっと、こういうたくさんの大人が見ている環境は
子どもに必要なのだと強く思う。
親でない大人にも育ててもらう。
これは最低限のルールは必ず守るという約束事はあえて語らないが
親以外の大人の役割は、反抗期や思春期に多いに力を持つ。
何より、無条件で、先入観なしに「こんにちは、元気?!」といつでも声をかけてくれる小さな頃から知っている大人がいるということ自体が子どもに力を与えることを伝えたい。
わたしはとても恵まれたなかで子育てができていることに心から感謝してやまない。
さて、これで本当の夏休みに入った。
通知表なるものはなく、専科授業だけなのだけれど
週に一度だけでも6年続けるとこんなにも心に体に働きかけるのかを毎回感じることができる特別な日。
とくにこの日は、どの学年も短い時間の中で、彫塑、手仕事、音楽、英語、オイリュトミー、芸術教室(フォルメンと水彩)のどれかを発表することになっている。
歌だったり、祈りの言葉だったり、その発表の中で、自分の子だけでなくよそ様の子の6年の成長も見ることができ幸せを感じる日。
なぜなら、子どもたちの過去と今と未来を見ることができるから。
親というのは(わたしだけかな?)、どうしても欲目がでるので、今よりも、もう少しとつい考えてしまうことはないだろうか。
もちろん勉強のことを言っているのではなく、生活面でのあらゆる小さなことから、大きなことまで・・・・。
こういうつどいで子どもの成長を見ると、欲張らずとも
いまのままで十分成長をしているなど少し第三者的に我が子を
みることもでき、しかもその子にとって、なにが助けになるのかを
感じ取ることもできることもある。
何よりたくさん子どもがいる中で、自分の子どもを見ることができるというのは、子育てにおいて、実はとても有益なエッセンスのような役割をする。
つまり、自分だけで、もしかして自分の子ヘンかも、と考えてたことが
たくさんの中で、あれ?うちの子だけじゃないわ、と思うこともできるからである。
さて、今日は、実はとある事情で子どもたちのつどいを見ることが叶わなかったが
代わりにたくさんの人が様子を話をしてくれた。
たくさんの目が、我が子のことも見てくれていると実感する時。
きっと、こういうたくさんの大人が見ている環境は
子どもに必要なのだと強く思う。
親でない大人にも育ててもらう。
これは最低限のルールは必ず守るという約束事はあえて語らないが
親以外の大人の役割は、反抗期や思春期に多いに力を持つ。
何より、無条件で、先入観なしに「こんにちは、元気?!」といつでも声をかけてくれる小さな頃から知っている大人がいるということ自体が子どもに力を与えることを伝えたい。
わたしはとても恵まれたなかで子育てができていることに心から感謝してやまない。
さて、これで本当の夏休みに入った。
by sorita-exlibris
| 2013-07-20 22:23
| 暮らしの綴り文
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