エレイン・ローブル・カニグズバーグ
2020年 08月 14日
7月、カニグズバーグの読み直しをした。
まず『スカイラー通り19番地』、次に『ムーンレディの記憶』。
最後に未読だった『13歳の記憶』に着手した。
この3冊には〝スカイラー通り“という共通項を持っている。
『スカイラー通り19番地』で12歳だった主人公のマーガレットは、
『13歳の記憶』では、マーガレットの13歳の義理の弟コナーが主人公。
『ムーンレディの記憶』は、12歳だったマーガレットの初恋の相手の
ジェイクとロレッタの子どもアメディオ 12歳が主人公。
どの作品も主人公が12~3歳というのも同じ。
アメリカでは、この12歳はミドルスクール1年生。
9歳の反抗期をお、大人たちがしっかり受け止めて通ってきたと
思われる、自分をしっかり持っている子たちが主人公たち。
思考の深さは大人顔負け。
しかし12歳、13歳というのは、ある意味中途半端な立ち位置だ。
子ども扱いをしたがる大人と(大半はこれ)、中味を見抜いてきちんと向き合って
座ってくれる大人。
日本のファーブルと呼ばれた熊田千佳慕さんは、子どもを必ず”小さい人”と呼んだ。
決して”ちびっこ”とか”ちびちゃん”などとは呼ばなかったそうだ。
無理に大人に引き上げられるでもなく、その子自身を認めてあげられる。
そんな対応ができる大人は、どのくらいいるのだろうか。
もちろんわたしも含めて。
さて、どこから書こう。
写真は読んだ順番と、刊行された順番に写してみた。



本好きの多くは本のカバーを必ず取る癖がある(と思っている)。
『スカイラー通り19番地』は、主人公マーガレットが憧れたバラ窓をイメージした
彼女のバラ天井が装丁画となっていて、色合いがとても素敵。
カバーを取るとステンドグラスの枠のようなものだけが残されているが、
これはジェイクが塗っていない部分をイメージしているのだろうか。
それとも……
『ムーンレディの記憶』は絵画が関係しているので額が描かれ、
『13歳の記憶』では、中表紙デザインは、カニグズバーグのサインが使われている。
スピンの色もそれぞれ絶妙なバランス。
うっとりまではいかなくてもセンスがいい。
それぞれの本の紹介を書いていると、ものすごく長いブログになる……
やめておこう(笑)
カニグズバーグの作品に出てくる大人は、どの人も潔い。
子どもの話をしっかり聞いてくれるし、そして子どものプライドを損ねることなく、
その子がしたいことをサポートし、またわかりにくい感情を
どう表現したらいいのかを教えてくれる。
いけ好かない大人ももちろん出てくるが、読んでいるうちに
それはそれで、その人はそうしないと生きていけない、というか、
もう身についてしまっているのだと感じることができる。
こんな感覚、大人しかわからないだろうと思ったら大間違いだ。
子どもと思われる年齢のほとんどは説明ができない年から
感覚で感じ取っている。
だって、わたしもそうだった。
皮膚感覚で、皮膚の1ミリも離れていない膜で、
いつもヒリヒリしていた。
早く大人になりたいような、なりたくないような。
わたしの10代は、行きつ戻りつ、大人になりたい。子どものままでいたい。
そういう日々だった。
『スカイラー通り19番地』で、マーガレットはおじさんたちが作った塔を救うために、
大人張りに、大人と共に奮闘する。
いや、そうじゃない。大人を動かすのだ。12歳のマーガレットが!!
そのマーガレットは、そのまた12年後、義理の弟コナーやコナーの友人のために、
見事なまでの采配を見せる大人となって再登場する。
出版社別で並べると
『13歳の記憶』(2000)『スカイラー通り19番地』(2004)『ムーンレディの記憶』(2007)
『13歳の記憶』を書いたのは69歳。
『ムーンレディの記憶』は76歳、そして遺作となったが、
とてもとても!どれも晩年の作品とは思えない緻密さと若々しさと、
テンポの良さが感じられる。
さらに言えば、彼女はわたしたちに伝えたい、伝えなければと考えることが
明確に、はっきりと持っていたということも思う。
彼女の年齢に気づいた時唸ってしまいましたよ。
こんなにすごい作品なのに(現に、16歳の高校2年生は『13歳の記憶』にはまっている)
どれも品切れ絶版となっている?!
どうしてですか?なぜですか?岩波書店さん!
とはいつも思っている!
『13歳の記憶』は、自分の犯してしまった小さな罪のせいだと自分を責めるあまり、
声が出なくなってしまった友達の無実をなんとか証明したいと奮闘する男の子の話。
『スカイラー通り19番地』は、おじさんたちが作った塔を、何もわかっちゃいない連中と戦って、
撤去を中止させようと奮闘する女の子の話。
『ムーンレディの記憶』は、ラスコーの洞窟画を見つけた子のように、
自分も何かを発見したいと考えている、小さな紳士のアメディオと、元オペラ歌手の老婦人。
そして親友家族と結ぶ、ある絵画が見つかる話。
どの子も自分がなにかを成し遂げようとするのは同じだが、
自分のために何かをしようとしているわけではない。
誰かのために、ここまで時間と労力を惜しまずに成し遂げようとする、その心意気に痺れる。
いま、そんな風に動ける子はどのくらいいるのだろう?
いや、本当は動けるのに、そんな心も時間がない。
ただその余裕がないだけのように思う。
今日の〆は遺作の『ムーンレディの記憶』から
「人の90パーセントは目に見えないということなの。だれかの体重が150ポンドでなく250ポンドだとしたら、まわりの人たちは15ポンドではなく25ポンドを見てる。人間というものはもっと見えているつもりかもしれないけれど、やはり10パーセントしか見えていないの」
あなたはこの言葉を読んで、なにを思い浮かべますか?
過去に紹介した『ムーンレディの記憶』のブログです。
新刊紹介で https://soritant.exblog.jp/10453457/
作品紹介 https://soritant.exblog.jp/15313790/

