
『二老人』
レフ・トルストイ
北御門二郎訳
あすなろ書房
大学二年生の娘が、家にあるトルストイを送ってほしいというので送付しました。
送る本を見返しているうちに、『二老人』を読み直していたら、やめれなくなってしまい、
読んだら送るから!と言ってまだ手元にあります。
以前読んだ時よりも、心に深く残りました。
自分はエリセイかエフィームか。
もしかしたら、どちらだろうと考えること自体が不必要なことなのかもしれません。
私は目立たない存在な子どもでした。
いえ、悪いことは目立っていて、よく怒られましたが
よいことをしても、全然気づいてもらえない、なんだか損な役回りでした。
そういうことが長くながく積まれてきてしまったので、
自分が、という性格はいまでもあるでしょう。
いつもそこに向き合うと反省をしています。
『二老人』を読んで、エリセイは自分のした行いを最後まで
口にだしはしませんでした。
きっと二度とあの場所にも戻らないでしょう。
それはどうしてなのか?
とってつけたような説明はできますが、
わたしの心がまだきちんと説明できるほど、理解ができていません。
まだまだ未熟者です。
物語の終わりに、エフィームがこう結びます。
『彼は、神様は一人一人にその生涯を通じて、愛と善行をもって自分の務めをはたすよう命じられているのだということをさとりました。』
まだまだ果たせていません。
でもわたしの周りには素敵な生き方をしている方が多くいらっしゃり、
学びをいつもいただいているのは事実です。
その一人の人は九州にお住まいです。
わたしが尊敬する友と共に数年前、訪ねた時、
床の間の掛け軸にはこうありました。
有朋自遠方来
それも途中で、その方が声をかけてくれたのです。
あなたたちが来るから、この掛け軸にしたのよと話してくれました。
あの時、自分に対して教養のなさにがっくりきたのを覚えています。
そして、迎えてくれる準備の心づくしに応えられなかったことに
申し訳なさを感じました。
少しずつ勉強していますが、まだまだ全然道のりは遠しです。
この掛け軸の言葉は、『おなじ志を持つ友達が遠くからやってくる』
とあり、論語の学而の一番最初に出てくるもの。全部は下記の通り。
おなじ志を、心知る友と訳されているものもあり、
帰宅後、この論語の意味を読んで、深くふかく友人に感謝をしたことを覚えています。
子曰、学而時習之、不亦説乎
有朋自遠方来、不亦楽乎
人不知而不慍、不亦君子乎
最近、年を重ねたおかげで、論語や漢詩に興味を持ちつつ、
なぜ、若いときにもっと熱心に聴いておかなかったのかと
自分に残念に思います。
そういえば、なぜこんな勉強をしなくちゃならないの。と中学生の時に
ぼやいた息子に、国語教師の友人は楽しく説いてくれたっけな。
わたしもその時に仲間入りをすればよかった。とほほ。
もうひとつ、最近出会って背筋がぴんとした漢詩を。
有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人
薄暮詩成天又雪
興梅併作十分春
梅があっても雪がなくては趣がなく
雪があっても、詩がなければ味気なく
薄暮時に、雪が降ってきて詩がひとつできた。
天には雪、地には梅、人には詩。
3つ揃って新春の気分を十分味わえるのだ。
と書かれているのだと思うのだけど、
羽仁吉一は、この漢詩の梅のように
梅には、清潔孤高の精神があり、愛すべきものとあり、
また花見る側にも粛然たる気持ちを持ってみるともありました。
教養のある人には、言われなくても粛然たる気持ちで
接していると思います。そうさせるなにかを発している。
いつか、飴玉を差し出すように、漢詩や論語を差し出せるような人になりたい。
今日は息子と父の誕生日でした。
休学中のおかげで、何年かぶりで一緒に祝えました。
母になって21年になりました。
今日まで大病もなく大きくなってくれてありがとう
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