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太宰治の清貧譚から、聊斎志異まで

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鑑賞中国の古典23 
中国小説選
金 文京
監修 小川 環樹 本田 済
角川書店

お伽草紙
太宰 治
新潮文庫

友人に太宰治は好きかと聞かれ、戸惑ってしまった数年前。
実はその友人が太宰治をとても敬愛しているのを知っていたので
どうしたものだかと、言葉を選んでいたら、くすっと笑って
私の戸惑いをすぐ察知してくれた。
逆に彼女は、夏目漱石をとっても読むくせに、漱石は苦手です、と
言っていた。そしてわたしは夏目漱石が大好きな人なのだった。


北村薫氏の《円紫シリーズ》(新潮社)(文庫は東京創元社)に『太宰治の辞書』というものがある。
わたしはこれを読んで初めて太宰治に魅了され、気になる存在(これまでも十分に
気になる存在ではあった。ハマってたまるかの時点で実は負けてる...。
あれ、これって三島由紀夫と同じ感情かも?)に昇格した。(上から目線でごめんなさい)

実はこの本を奨めてくれたのも、太宰治が好きな、本屋を当時営んでいた別の友人。
わたしがこの本の面白さを報告にいって、かくかくしかじかと話し始めたら
ふふふ。と計算づくの笑顔を向けられた。(笑)

この本をきっかけに、北村薫氏、そして《円紫シリーズ》にも魅了されたのは書くまでもないが。

件を聞いた最初の友人に「では、お伽草紙をお読みになって!!」と言われてから
読み終えるまでは1年以上要してしまったが、彼女の奨める本は他にも読んでいたので
そこは気長にまっていてくれたのはありがたい。


さて、ようやく本題に近づいてきたのだけど
もし『お伽草紙』を未読の人がいたら、わたしもぜひぜひと奨めたい。
筑摩書房の作る高校教科書には『清貧譚』などが掲載されているようで嬉しい。

さて、太宰治の『お伽草紙』に収められているものの中でも魅了された小説のひとつに
『清貧譚』がある。菊の精と添い遂げた男の話なのだがとても美しい。
もうひとつ『竹青』というのもある。この二つの原点をきちんと読みたくて探していてであったのが
角川書店の鑑賞中国の古典 中国小説選 金文京氏 こちらは絶版のようでもう買えない。

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実は金文京氏は、尊敬するK先生に別の本のことで尋ねたら、ぜひこの人の本をと紹介してくださった方。
申し訳ないことにお目当ての本ではなく、さきにこっちを借りてしまったのだが、
それが大当たりだった。K先生ありがとうございます。

漢文、白文に口訳がつき、聊斎志異の『黄英』(清貧譚)の作者の蒲松齢の背景も詳細に載っている。
読み終えて気づいたことをいくつか記すと、
この蒲松齢の書いた『黄英』は、わたしたちが使う原稿用紙でいくと4枚半。
しかし、太宰は原稿用紙30枚前後の好短篇を読了した時と同じ満足感があると書いている。

太宰はこれに独自の創造性を加えて『清貧譚』を仕上げているのだが、もはやこれはこれで
彼の『清貧譚』でしかない、というのが読み終えての感想。
ため息ものの、そりゃ天才なはずだわ、という言葉も漏れたのも事実。
また個々をきちんとブログにて書き残したいと思う。

ちなみに、聊斎とは聊(むだばなし)をする書斎で、異(ふしぎ)なことを書き志(しる)したという意味。

井原西鶴の『西鶴諸国はなし』を太宰の言葉を借りれば「読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもり」とある。
『清貧譚』も『新釈諸国噺』も十分にそうなった。さらにいえば書名にもなっている『お伽草紙』の
「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の魅力的なこと。
防空壕で子どもに語り聞かせる昔話から、こんなことも考えていようとは、思わずくすりとさせられた。



さて、この角川の『中国小説選』を読んでいて想像したことをもう一つ。
蒲松齢の妻をモデルにしたと言われる『黄英』を、自分の想像を加えて書きたくなった太宰。
もしかしてこの黄英と自分の妻美智子を重ねたのでは?と思ったのだけど、

食わず嫌いで読んでいない『斜陽』を読んだら印象が変わるのだろうか。


どちらも高校生からおすすめです。
といいながら、なんで当時は漢文に魅力を感じなかったのかしらんと
頭をかしげるわたしであった。

最後に、金 文京氏の言葉で痺れる箇所があった。
冒頭に小説とはを最初に記されている文献の言葉が記されていて
その箇所もとても面白いのだが、p15の「総説」の中の「歴史と小説」
から少し抜粋したい。

当時は小説というものがとても軽んじられているのだが
『漢書』『芸文志』は、小説において「君子は為さず」とあり
儒家から小説家までの諸子十家を列挙したあと、『諸子十家、其の観る可き者は、九家のみ』
と小説を九家から排除をしている。
しているにもかかわらず、抹殺することはなかった。
ここからが痺れるところ。

『否定はするが抹殺はしないというのは、歴史家の態度ということができるであろう。
 思想、哲学、宗教、政治など、およそ一つの主義信条に拠る立場を取るならば、
その反対の、攻撃すべき、否定すべき、抹殺すべき立場もしくは文献が生ずることは避け難い。
これに対して、歴史の立場に立つならば、抹殺すべき文献というものは存在しないであろう。
なぜならば、歴史家の目から見る時は、存在するあらゆる文献はすべて史料だからである。
史料には、役に立つものとそうでないもの、信憑性の高いものと低いものの区別はあるが、
抹殺すべき史料というものはない』

先日の加藤陽子氏の言葉に繋がり、またわたしは震える思いがした。

こういう出会いが、本当に多角的な出会いがあるから読書はやめられない。
さて、『竹青』のもとを探さねば。
でも、すぐ出会える気がする。



by sorita-exlibris | 2021-07-19 19:07 | 太宰治 | Trackback | Comments(0)

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