子どもたちが通ったシュタイナー園では、アドヴェントになると
毎日、クリスマス劇で一日が始まる。
クリスマスまで毎日聖誕劇を子どもたちで各クラスで行われ、
クリスマスが終わるとエピファニーに向けて、毎日三人の博士の劇になる。
年少さんから年長さんまで、毎年まいとし同じことを何年もしているので、
子どもたちの方がちゃんとセリフを覚えていたりする。
年少さんの時に羊役だった彼らが、年中さんになると星役をしたりする。
大事なベツレヘムの星。
年長さんになると、マリアやヨセフをする。
園から帰っても、朝になっても歌うので、親のわたしたちもすっかり覚えてしまう。
年長さんになると、親は一日一家族だけ、ご招待を受けるので、
聖誕劇、または三人の博士を見ることができる。
毎日まいにち、待降節の間は聖誕劇を、過ぎるとエピファニーつまり公現祭までは
三人の博士を、自分たちが毎日演じるので、キリスト誕生と三人の博士が来るまで
が身に染みていく。
さらに、クリスマスイブは、年長さんとその親だけが見られる”大人”が演じる
聖誕劇も見られ、また小学生になると、小学生以上から大人までしか
見られない聖誕劇を見ることができる。
きっと、毎日まいにちの繰り返しで、自然に彼らの中に灯っていく、
クリスマスの灯というものがあるのだろうが、子どもの中身のことまでは
わからないが、他にもシュタイナーらしい行事があり、大事にしていた。
これは好きなポストカード
レンブラントの「羊飼いの礼拝」
今日、所属している会のクリスマスの例会がありました。
女性の牧師様のお話は、いつもシュタイナーの先生から聞く視点と同じで、
最前列で聴いていたわたしは、自分のお役を忘れそうになるくらいに
夢中で耳を傾けていました。
聖書はミカ書5章1から4a。
そしてルカの福音書の2章1節から20節
旧約聖書のミカ書の1では、
”ユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る”
と予言されている。
この”小さき者”
それがルカにも書かれている”飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子”のこと。
しかも身重であるマリアは寒い夜、その日だけでなく
幾日も幾日もかけて、ガリラヤのナザレから、ユダヤのダビデの町へきました。
生まれそうな様子に、人々は気にもかけようとしません。
生まれそうなのだと頼んでも、身重のマリアのためにも、生まれそうな乳飲み子のためにも、
居場所どころか、それぞれの人の心の中にも、気持ちを寄せるスペースはありません。
なぜ、権力者でも、富裕者でもなく、夜通し働き、貧しい羊飼いの元へ
天使はお知らせを使わせたのか? そしてその乳飲み子をみつけることが
”あなたがたへのしるし”であると天使は言ったのか。
天使から聞いた通りのことを実際にその目でみた羊飼いたちは、そのことを人々に知らせました。
なぜ、小さき者だったのか。なぜ、家畜のエサを入れる、本当なら
うまれたばかりの赤子を絶対にいれない場所”飼い葉桶”でむずがるでなく、
寝ている乳飲み子なのか。
また見つけるのも貧しい羊飼いだけれど、マリアとヨセフもまた貧しい親です。
このすべてに意味があること。
いつもクリスマスの講義をしてくださるシュタイナーの先生はいっておられました。
羊飼いは貧しいけれども、人として正直に生き、おおらかだからこそ
天使が使わせたのだと。
おなじことを話されました。
また今日の牧師先生は、こうも話されました。
「聖書は、男性が男性目線で書かれたものです。1960年代から、女性の目線でも
読み解かれることの必要性が言われてきました。
なんとなく、普通に読んでこられたかもしれませんが、これからは、女性の目線で
聖書をどうぞ読み解くこともなさってください」
今日の礼拝を務めてくださった小室尚子先生のインタビュー記事を見つけました。
女性目線で読みとき方にも触れています。
そして、こちらが好きなクリスマス絵本のひとつ

セルマ・ラーゲルレーブ 文
イロン・ヴィークランド 絵
うらたあつこ 訳
ラトルズ
この絵本は
セルマ・ラーゲルレーブのこちらの本が絵本になったものです。
キリスト伝説集ラーゲルレーヴ作イシガ・オサム訳岩波文庫
一話目の「聖なる夜」。実はイシガ・オサム訳の方がリズムも
流れもいいと感じました。
このお話のいいところは、おばあちゃんの死が語られること、
そのおばあちゃんがクリスマスイブの日に、小さくて教会にいけない
わたしに語って聞かせた、ある聖なる夜の話をわたしたちに
聞かせてくれます。
そこには、気難しい羊飼いが、あまりにも不思議なことが続くので
これは逆らわずに、なにが起こっているか見てやろうと
思ったことで、はじめて心の目で見えたものがあります。
「羊飼いの見たようなものはわたしたちにだって見ることができるのだよ。
なぜならわたしたちに見る目がありさえすれば、天の使いはいつのクリスマスの
晩にもお空をとんでいるんだからね」
そのお話では、お告げも、しるしのはなしも飼い葉桶も違いますが、
聖なる夜に起こった不思議な話には変わりません。
残念なことに、どちらも手に入りませんが、ぜひ図書館でお探しください。
最後に、今日礼拝で、先生はこうも話されました。
聖書の中で、ひとつの章の中に大切なことは、大体真ん中に書いてあり、
大事なことは三回繰り返されています。
三回、大事なことは繰り返される。
わたしは聖書にも昔話の法則が当てはまるのかと改めて知りました。
三回繰り返されるのを意識したことがないので、
そのことと、女性目線での読み解きをしてみたいと思います。
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