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だんごむしのダディダンダン

思い出深い絵本の一冊

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『だんごむしのダディ ダンダン』
おのりえん 作
沢野ひとし 絵
福音館書店

沢野さんだけでも、思い出すエピソードがいくつかある。
敬愛する佐野洋子さんと谷川俊太郎さんを交えての
”沢野って天才だったんだ”と2人に言われる話や、
その昔沢野さんの絵はキロいくらで売られていたというまことしやかなようで
本当の話とか。

そしてもうひとつ、この絵本に音をつけてくれた方もいた。
なにげない一言「聴きたいなぁ」と言ったら現実になるという。
しかもあの方に♡

さて、この絵本を紹介したくなったのには理由がある。
朝日新聞の連載(有料だけど紹介)の
を読んだらいてもたってもいられなくなったのだ。

三谷さんって、なんでもない日常をおもしろおかしくする人ですよね。
おもしろいけど、すべるときは凍えてしまうほど寒いし。

さて、今回は、カマキリ先生こと香川照之氏に、三谷氏の息子のカブトムシの
飼い方のために指南をお願いするところからはじまる。
ちなみに、カブトムシの名前が「カブキ」
なんだけど、ここでちゃんと香川照之氏と後につなげようって魂胆見えみえな
命名「カブキ」なんだけどぉ。三谷さん~。

事前にこの連載のために、常に生活に伏線を張っているに違いない。

そして、そのカブトムシの「カブキ」の同居人がだんごむしの「ダンディ」
こちらは二代目だそう。一代目はご臨終をなさったようで...。
そうとは書いてないけど、二代目ってことはそうだよね。

ダンゴムシって飼うんだぁと思ったのは、友人のインスタで
珍しいダンゴムシを育てているのを見た時。

この「ダンディ」も特別なダンゴムシなのかな。
うちの庭にも、点々があるのや、でかいのは、小さいのや、黒いのや色素薄いのや
色々いるけど、特別に育ててみようとは、息子いるけどそんな発想はしたことがない。
よくズボンにはいたけど。

ということで、三谷氏はカブキとカマキリ先生とダンディの話なんだけど、
よくぞあんななにもないことを、ここまで書けるなってぐらいありふれた日常を
読ませてくれる幸せなエッセイです。


あぁ、肝心の絵本、えほん。

こちらは「ダディ ダンダン」ひげもはやして、ステッキならぬ傘を持ってて、
ヨーヨーをしながら歩く。いかしたパパ。

またこれが勇ましいんだわ。傘もヨーヨーも大活躍。

だけど普段はのんき極まりない。
全く役に立ちそうにない雰囲気だけど、頼りがいあるパパだと判明

『そらを とべたら いいのになあ はあぁん』

なんて傘をふりまわして歌っているなんて、ただの草むらがフランスに見えてこない?!

わたしも疲れてしまう前に「はあぁん♪」って歌っていよう。
おのりえんさんのリズムが心地いい絵本。

2歳頃から大好きですが、小1のクラスで読み聞かせしたときも、みんな楽しんでましたよ♪




# by sorita-exlibris | 2021-07-23 22:13 | 虫の絵本 | Trackback | Comments(0)

ちいさなたいこ

何年か前の夏に
裏庭でかぼちゃがなった。

わたしが干してそのまま忘れたかぼちゃのたねが出てきて
母と面白半分で植えてみたら
にょきにょきと茎が伸びて葉も大きくなっていった。
ある日フェンスにからまりはびこったかぼちゃの蔓をみると
かぼちゃがひとつだけなっている。

そのまま日にちをおいたら、どんどん大きくなっていった。
フェンスに宙ぶらりんでなっているかぼちゃ。
重たいのに、落ちもせず上手になっていた。
最後は心配になって、少しフェンスから助けてやったのだけど
見るたびに、お囃子が聞こえてきやしないかと耳を澄ましていた。

子どもたちにも、『ちいさなたいこ』を読むたびに
裏のかぼちゃも小人が住んでいるかも、
そんな話をして、楽しみにしていた。

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ちいさなたいこ
松岡 享子
秋野 不矩
福音館書店


春にかぼちゃの種を植えたおじいさんとおばあさんの畑に
大きな大きなかぼちゃがなった。
あれあれ、どこからかお囃子が聞こえてくる、と思ったら
それはかぼちゃの中からだった。

これだけでも、わくわくしませんか?
中ではどんな人たちがお囃子をしてるんだろうか。
どんな小さい人なんだろうか。
太鼓も笛の音も聞こえてくる。

たまらずのぞき見をしたくなる。
こういうお話にはかならず、”ちょっと見られる”ところがある。

子どもは息をのんで一緒にのぞき見をしてくれる。

そんな子どもたちが見られること、
一緒に、ワクワクする心の動きを楽しめる一冊。

末娘に読んだ時、「ねぇねぇ、かぼちゃに穴をあけよう。」
そう言いました。

ドキドキしながら耳をつけても静かだったかぼちゃ。
食べる時も、なかに小さな人がいたら怖がるよ、と本気で
心配する子どもたち。

絵本の世界なのに、どこか彼らの中には異世界と繋がる
不思議な鍵を持っているとしか思えない時がある。

いつだったか、小さな時、わたしもその鍵を持っていた時があった。

忘れないでいたら、子どもと一緒にまた遊びにいけるかもしれない。





# by sorita-exlibris | 2021-07-20 22:50 | 昔話 寓話 | Trackback | Comments(0)

太宰治の清貧譚から、聊斎志異まで

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鑑賞中国の古典23 
中国小説選
金 文京
監修 小川 環樹 本田 済
角川書店

お伽草紙
太宰 治
新潮文庫

友人に太宰治は好きかと聞かれ、戸惑ってしまった数年前。
実はその友人が太宰治をとても敬愛しているのを知っていたので
どうしたものだかと、言葉を選んでいたら、くすっと笑って
私の戸惑いをすぐ察知してくれた。
逆に彼女は、夏目漱石をとっても読むくせに、漱石は苦手です、と
言っていた。そしてわたしは夏目漱石が大好きな人なのだった。


北村薫氏の《円紫シリーズ》(新潮社)(文庫は東京創元社)に『太宰治の辞書』というものがある。
わたしはこれを読んで初めて太宰治に魅了され、気になる存在(これまでも十分に
気になる存在ではあった。ハマってたまるかの時点で実は負けてる...。
あれ、これって三島由紀夫と同じ感情かも?)に昇格した。(上から目線でごめんなさい)

実はこの本を奨めてくれたのも、太宰治が好きな、本屋を当時営んでいた別の友人。
わたしがこの本の面白さを報告にいって、かくかくしかじかと話し始めたら
ふふふ。と計算づくの笑顔を向けられた。(笑)

この本をきっかけに、北村薫氏、そして《円紫シリーズ》にも魅了されたのは書くまでもないが。

件を聞いた最初の友人に「では、お伽草紙をお読みになって!!」と言われてから
読み終えるまでは1年以上要してしまったが、彼女の奨める本は他にも読んでいたので
そこは気長にまっていてくれたのはありがたい。


さて、ようやく本題に近づいてきたのだけど
もし『お伽草紙』を未読の人がいたら、わたしもぜひぜひと奨めたい。
筑摩書房の作る高校教科書には『清貧譚』などが掲載されているようで嬉しい。

さて、太宰治の『お伽草紙』に収められているものの中でも魅了された小説のひとつに
『清貧譚』がある。菊の精と添い遂げた男の話なのだがとても美しい。
もうひとつ『竹青』というのもある。この二つの原点をきちんと読みたくて探していてであったのが
角川書店の鑑賞中国の古典 中国小説選 金文京氏 こちらは絶版のようでもう買えない。

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実は金文京氏は、尊敬するK先生に別の本のことで尋ねたら、ぜひこの人の本をと紹介してくださった方。
申し訳ないことにお目当ての本ではなく、さきにこっちを借りてしまったのだが、
それが大当たりだった。K先生ありがとうございます。

漢文、白文に口訳がつき、聊斎志異の『黄英』(清貧譚)の作者の蒲松齢の背景も詳細に載っている。
読み終えて気づいたことをいくつか記すと、
この蒲松齢の書いた『黄英』は、わたしたちが使う原稿用紙でいくと4枚半。
しかし、太宰は原稿用紙30枚前後の好短篇を読了した時と同じ満足感があると書いている。

太宰はこれに独自の創造性を加えて『清貧譚』を仕上げているのだが、もはやこれはこれで
彼の『清貧譚』でしかない、というのが読み終えての感想。
ため息ものの、そりゃ天才なはずだわ、という言葉も漏れたのも事実。
また個々をきちんとブログにて書き残したいと思う。

ちなみに、聊斎とは聊(むだばなし)をする書斎で、異(ふしぎ)なことを書き志(しる)したという意味。

井原西鶴の『西鶴諸国はなし』を太宰の言葉を借りれば「読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもり」とある。
『清貧譚』も『新釈諸国噺』も十分にそうなった。さらにいえば書名にもなっている『お伽草紙』の
「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の魅力的なこと。
防空壕で子どもに語り聞かせる昔話から、こんなことも考えていようとは、思わずくすりとさせられた。



さて、この角川の『中国小説選』を読んでいて想像したことをもう一つ。
蒲松齢の妻をモデルにしたと言われる『黄英』を、自分の想像を加えて書きたくなった太宰。
もしかしてこの黄英と自分の妻美智子を重ねたのでは?と思ったのだけど、

食わず嫌いで読んでいない『斜陽』を読んだら印象が変わるのだろうか。


どちらも高校生からおすすめです。
といいながら、なんで当時は漢文に魅力を感じなかったのかしらんと
頭をかしげるわたしであった。

最後に、金 文京氏の言葉で痺れる箇所があった。
冒頭に小説とはを最初に記されている文献の言葉が記されていて
その箇所もとても面白いのだが、p15の「総説」の中の「歴史と小説」
から少し抜粋したい。

当時は小説というものがとても軽んじられているのだが
『漢書』『芸文志』は、小説において「君子は為さず」とあり
儒家から小説家までの諸子十家を列挙したあと、『諸子十家、其の観る可き者は、九家のみ』
と小説を九家から排除をしている。
しているにもかかわらず、抹殺することはなかった。
ここからが痺れるところ。

『否定はするが抹殺はしないというのは、歴史家の態度ということができるであろう。
 思想、哲学、宗教、政治など、およそ一つの主義信条に拠る立場を取るならば、
その反対の、攻撃すべき、否定すべき、抹殺すべき立場もしくは文献が生ずることは避け難い。
これに対して、歴史の立場に立つならば、抹殺すべき文献というものは存在しないであろう。
なぜならば、歴史家の目から見る時は、存在するあらゆる文献はすべて史料だからである。
史料には、役に立つものとそうでないもの、信憑性の高いものと低いものの区別はあるが、
抹殺すべき史料というものはない』

先日の加藤陽子氏の言葉に繋がり、またわたしは震える思いがした。

こういう出会いが、本当に多角的な出会いがあるから読書はやめられない。
さて、『竹青』のもとを探さねば。
でも、すぐ出会える気がする。



# by sorita-exlibris | 2021-07-19 19:07 | 太宰治 | Trackback | Comments(0)

批判を手控えてはならない


久々のブログ。ちょっと激しいものですが・・・
有料記事なので、みなさんが見られるわけではないですが、情報として…
学術会議の推薦で当時の山極会長が出した105人から、
6人が外されたのは記憶に新しいことだと思います。
その後の情報開示へのやりとりは、呆れ返る以外の
何者でもない対応を政府は続けました。
外された一人の東京大学教授の歴史学者の加藤さんは、
会見にも出ず、沈黙を保ってましたが、このロングイ
ンタビューで多くを語ってくれています。
歴史学者なだけに、鮮明に記録したうえで、論理的、
なぜこういう手順が必要なのか?これまではどうで
安倍政権からどうなっているのか?
とてもわかりやすく話されています。

本文少しだけ抜粋すると、
「忖度を駆動させない対策が必要です」

と出てきます。
この対策とは誰に向けられてるものか?それは国民です。
国民が忖度しないように、政府の会見は、言わなくても
わかるでしょ?のニュアンスで菅官房長官から、かわさ
れてきました。
読んだ時、ゾッとしました。

加藤さんは、学術会議の特任連携会員として席を残すこ
とを拒否しています。
その理由は、『実を取るより名を残すことにした』この"名"の意味。
加藤さんが拒否をすることで、外された6人の内、拒否し
た加藤さんの名を外された人として歴史に刻まれます。
なぜなら、残りの5人は、特任連携会員の選択をしている
からです。それがいけないと書いているわけではありません。
加藤さんの歴史学者としての選択に、わたしが痺れただけです。

最近、答えを安易に出しすぎだと先日友人と話してました。その友人
はわたしが並んで語ることができないぐらいのクレバーな人だ
から、もっと詳しく聞きたい、と思ってるところですが、
例えば、あるニュース媒体を今後、紙にするか、デジタルにす
るか、その問いの時に、時代はペーパーレスだから、安易に答
える人が多いです。
間にあるべき試行錯誤をすっとばして、『デジタル』と答えてしまう危惧。
このある意味スパッとつなげることに対して、いい面もあるで
しょう。ですがこの思考の流れは色々なことに繋がり、ある種
危険な場合もあるでしょう。
人事のことですから、詳細は控えさせていただきます。プライ
ベートないことですから、詳細は控えさせていただきます。
これも同じ、間にある試行錯誤をすっ飛ばして、わたしたちに
忖度しろと言っています。
なぜ、言えないのかをなんにも具体的に説明していません。
こうやって、有耶無耶にする傾向の時は、どのコミュニティの時もよくありません。
なぜなら、そういう時は説明したくない理由が明確にあるからです。

批判を手控えてはならない_d0220685_09064852.jpg
『本物をまなぶ学校』
自由学園
婦人之友社

本書には内田樹さんの自由学園で行われた講演会録が記載されています。
内田さんは生徒たちに、自由学園にはたくさんの伝統や決まりがあり、その中には
大人には意味がわかっても、生徒には意味がわからないことがあるでしょう。と前振りをしてから

「僕はそれがこの学園の一番の教育的な「資産」だと思いました」とした上でこう話しました。

「みなさんにお願いしたいのは、それを「自分には無意味に思えるけれど、決まりだから」というだけの
理由で批判を手控えて従ってはならないということです。<中略>ごねない子どもにはならないでください」

この前後にもいいことを話されているし、また辻信一氏や福岡伸一氏も原稿を寄せています。




わたしたちは考えなくてはいけません。
考えることはやめてはいけません。
わたしも考えます。大人ですけど、ごねない大人にはなりたくありません。(笑)

ロングインタビューの全文を是非お読みください。

# by sorita-exlibris | 2021-07-15 09:18 | 暮らしの綴り文 | Trackback | Comments(0)

小宮由氏の講演会のお知らせ

小宮由氏の講演会のお知らせ_d0220685_08155694.jpg

昨年の7月にオンラインでは初めての講演会をお願いしてほぼ一年。
リアルで聴いていただきたい内容でしたが、状況があまり変わらず断念。
でもオンラインのいいところは、聞く人の地域を選ばないことでもあります。


今年も小宮さんに講演会をお願いできました。
どうしてもお祖父様の北御門二郎氏のことも話してもらいたかった昨年。
一年越しに実りました。
小宮氏が講演で必ず話す
『人の喜びを我が事のように喜ぶ。人の悲しみを我が事のように悲しむ』
そして、『この喜びをあの子に伝えたい』
その思いは、小宮氏のこれまでの生き方がはそのまま反映されてると感じてます。

その思いと、お祖父様の北御門二郎氏の生き方は切っても切り離せないものだと思っています。

北御門二郎氏は日本で唯一の兵役拒否をした人でもあり、
NHKでも特集を組まれました。


ぶな葉一さんが書かれた『北御門二郎 魂の自由を求めて』はとても読みやすく
何度読んでも、人としての生き方を問われます。
今回は、お祖父様のこと、訳された『イワンの馬鹿』のことを中心に、
翻訳家 小宮由氏の 翻訳という仕事についても伺ってみたいと考えてます。
初めて聞く方も、子どもを持つお母さんも、
児童文学に魅せられた方も、聞き終えた時に、
心にぽっと灯がともるのは間違いないです。
どうぞ、皆様ふるってご参加くださいませ。
申込は以下のフォームからお願いします。
お待ちしております!
 詳細も以下からお願いします!
https://forms.gle/JFuGk3ejVMQYNRFx6



# by sorita-exlibris | 2021-05-18 08:16 | kodomiruの部屋 | Trackback | Comments(0)

絵本のある暮らしに憧れていたら、いつのまにかたくさんの書物に囲まれていました。htttp://www.kodomiru.com 絵本と子育てがいっぱい書いている初期ののブログはコチラ http://soritant.exblog.jp/


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